今では何でもないような色の操作が、かつては非常に困難を極めた。そしてそれは思いもよらない結果を生むことにもなった。
白黒/カラー/フィルム
ふと、1993年公開の『シンドラーのリスト(Schindler’s List)』のことを思い出していた。
スティーヴン・スピルバーグは1993年に『ジュラシック・パーク』と『シンドラーのリスト』を2本監督している。『ジュラシック』の公開日は6月で夏のブロックバスター狙い、『シンドラー』は12月でアカデミー賞狙いなのは明白だった。『ジュラシック』は①恐竜のCGはすごいけど演技がダメ②マックのハッピーセットを欲しがる年齢の子供には怖すぎる、という批判が多かった記憶がある。『シンドラー』は誰も批判しなかったが「アカデミーに間に合った」と必ず言われていた。私も劇場で見たときに、編集が雑なのではないか?と思った記憶がある。
『シンドラーのリスト』は、アメリカで公開されたとき「全米で一挙に公開するのではなく、都市と映画館を丁寧に選択して、反応を見ながら慎重に公開範囲を広げていった」と言われている。
The film was slated to open in twelve-to-fifteen markets on 15 Dec 1993, as noted in the 4 Oct 1993 HR. The initial markets included New York City; Los Angeles; Toronto, Canada; Washington, D.C.; San Francisco and San Jose, CA; Chicago, IL; Miami and West Palm Beach, FL; Boston, MA; Philadelphia, PA; Seattle, WA; and Dallas, TX. By late Jan 1994, the release was set to widen to 200 theaters.
実は、この映画は、公開時に上映用プリントの問題で現場は混乱していた。公開劇場の数を一気に増やせなかったのはそのせいもあるだろう。
公開開始後、スティーヴン・スピルバーグ監督のホロコースト映画『シンドラーのリスト』は国内のいくつかの映画館で技術的な問題に直面した。この映画は先週水曜日に公開されたが、白黒フィルム・ストックの扱いにくさからくる問題だ。
白黒のフィルム・ストックは従来のカラープリントと較べて薄い。そのためにフォーカスが甘くなったり、フレームが飛んだり、シャッターがバタつくといったことが起こりやすくなる。
ユニヴァーサル・ピクチャーズのスポークスマンは、この水曜日に4つの違う劇場──ニューヨークの2館、シアトルの1館、シャーマン・オークスの1館から、上映の問題の報告を受けたと明かした。ユニヴァーサルによれば、シャーマン・オークスのGCCシネマのプリントの1本は交換する必要があったという。
Claudia Eller, Los Angeles Times[1]
白黒フィルムストックの問題は、製作の段階である程度予想されていたのではないだろうか。撮影監督のヤヌス・カミンスキ(Janusz Kamiński)は撮影用のネガフィルムの選択についてもかなり苦労した経緯があるという。スピルバーグが、カラーを使用したシーンを挿入したいと言い、カラーフィルムのシーンと白黒フィルムのシーンの色調や階調を合わせる必要があった[2]。
「何回かテストをして、コダックのカラーフィルムストックの5247と5296を使うことにしたんだ。入手できる白黒のフィルムストックが5231と5222だけで、これに合わせることができるカラーストックがこの2つだった」とカミンスキーは説明する。「(白黒は)比較的劣る、古いフィルムストックで、これは変わっていないのに(撮影)技術は変わってしまったので、かなり苦労した」
Janusz Kamiński
コダックの5247は1950年、5296は1989年に導入された撮影用カラーネガフィルム、5231はいわゆる「Plus-X」で、1941年に市場に出た白黒ネガフィルム(『市民ケーン』に使われたタイプ)、5222は1959年に導入された白黒ネガフィルムだ。このテストでは、カラーストックと白黒ストックを2台のカメラで同時に同じシーンを撮影して比較している。
2台のカメラを隣り合わせで設置し、同じ焦点距離のレンズを使って、同時に撮影した。一方にはカラーの5296ネガを、もう一方には白黒の5222ネガを装填した。(デュ・アートの)ドン・ドニージが、5296を全部の色を抜いてカラーポジをプリントし、5222のほうは標準の白黒ポジストックにプリントした。
Janusz Kamiński
ところが、この色を抜いたカラーポジプリントと白黒ポジプリントでは全く違うものになってしまったという。白黒プリントの方が「リアリスティックで粒状性が際立っている」一方で、カラープリントのほうは薄っすらと青味がかっていた。カラーネガのほうを白黒ポジストックにプリントしたが、それも失敗だった。白黒ポジストックはオルトクロマチックと呼ばれる、可視領域で青にのみ反応する種類のフィルムで、カラーネガの青い部分にしか反応しないのだ。特殊なパンクロマチックの白黒ポジストックを使って、全色域に反応するように調整したという。
おそらくここで使われているオルトクロマチックの白黒ポジストックはコダックの5302だろう。1951年にナイトレートベースからアセテートベースに変更されたときの商品だ。白黒のストックはどれも1950年代以降開発がほとんどされていないのだ。
実際の公開時のプリントは、白黒プリントとカラープリントがスプライスされてつなぎ合わされていた。有名な赤いコートの女の子のシーンなど、色が部分的にほどこされたシーンがカラープリント、それ以外が白黒プリントだった。カラープリントでは、ロトスコープ法を使って、少女のコートの赤色以外の部分を手作業で脱色している[3]。当時の映写技師たちの証言によれば、プリントストックはAGFAだったという[4], [5]。
この白黒とカラーのフィルムが混じった上映プリントが問題を引き起こした[6]。ひとつは、カラーのシーンと白黒のシーンで焦点がずれてしまうことだった。これはフィルム厚みが違うから、スプライスがゲートでひっかかるから、銀粒子と色素で光学/熱特性が違うから、など色々原因が言われていた。ゲートテンションを調整する、赤外フィルタを使用する、などの対策が示唆されていたようだ。もうひとつの問題は、白黒プリントの削れである。白黒プリントは1920年代からパーフォレーションの部分が削れやすいという欠点を抱えていた。現像所がワックスを塗って対策するのが一般的だったが、溶剤が規制で使えなくなった。一方、カラープリントでは削れの問題が起きないため、いつしか忘れ去られていたのだという。この問題が『シンドラーのリスト』公開で顕在化したのである。緊急処置として、映写前に事前にワックスを手塗りするように指示があったという。
ロサンジェルス・タイムズ紙は、公開5日後に映写室でのトラブルを報じている。ユニヴァーサルは「監督のスピルバーグ、プロデューサーのジェラルド・R・モレン、編集のマイケル・カーンが署名したレター」を上映劇場には送ってあり、そこに問題回避のための指示を記載していると主張した。「この指示を守らない映写技師がいる」と責任転嫁までしていた。
『シンドラーのリスト』上映の不具合は収束する気配が見えず、ユニヴァーサルはさらに窮地に立たされた。白黒プリントにカラーをスプライスして挿入するので、非常に手間がかかる。白黒プリントを大量に処理できるのはアメリカ国内にはデラックス現像所しかなく、そこで1週間に100本しか上映用プリントが作れなかった。白黒プリントの削れ対策として「トマコート」という、得体のしれない薬剤を推奨して、これを塗布したものを出荷までしていたようだ[5]。「トマコート」はトム・オグバーンという映画アーキヴィスト/映画収集家が《開発》した薬品であり、成分や製法は不明である[7]。この「トマコート」は効果があったという技師と、まったく使い物にならなかったという技師とで、意見が分かれているようだ。
いずれにせよ、ユニヴァーサルはスピルバーグ監督の《こだわり》に振り回されていたが、アカデミー賞がいよいよ近くなると、方針を変えた。カラープリントをスプライスで挟み込むやり方はあきらめて、全編カラーフィルムのストックを使うことにした[8]。白黒の映像が青味がかってしまうという欠点は多くの技師が指摘しているものの、映写室でのトラブルは減ったようだ。
私は当時アメリカにいて、『シンドラーのリスト』を公開後数週間たってから劇場で見た。その時のプリントがどちらだったのかは実はわからない。全体的に青い色調がのっていたような気もするがはっきりしない。
日本ではどんなプリントで公開されたのだろう。
|
『シンドラーのリスト』4Kリストア版 プロモーション映像 |
煙の色
スピルバーグ監督が、白黒映画のなかで、ある部分だけ色を施して意味を持たせるという手法を思いついたのは、もちろん黒澤明監督の『天国と地獄(1963)』の有名なシーンの影響である。あのシーンはどのようにして作られたか。撮影を担当した中井朝一が説明している[9]。
- まず、普通の黒白ネガ・フィルム①で煙が出ている煙突を撮影する。
- そのポジ②から1コマを切り出して、カメラのフレームに入れる。
- このカメラで、再度(煙の流れを合わせた)煙突を夜間撮影③。煙のみ照明して他は感光しないようにした。
- ③から煙の形のマスク④を作成。
- 最初の黒白ネガ①からポジ②を作成し、④のマスクをかけてカラーネガ⑤にプリントする。
- このカラーネガ⑤に、④を反転させたマスク⑤をかけて着色フィルターを通して、煙部分を着色する。
かなり複雑な工程だが、実際のシーンは、さらにガラス戸を開けたときに煙の色が鮮明になる効果も追加している。
中井はさらにこう述べている。
このカットだけカラー・ポジを使用し、前後の黒白フィルムの調子を合わせるため、東京現像所当間章雄氏に大変ご苦労をかけた。然し、結果として、黒白フィルムの中にカラー・フィルムを入れることには無理が伴なう。今後の課題として研究したい。
中井朝一
映画のメディウムがフィルムしかなかった時代には、色を操作することは決して簡単ではなく、フィルムのもつ化学的/光学的性質に大きく左右されてしまっていた。《メディウム・スペシフィシティ medium specificity》という言葉だけでは到底すくい切れない複雑さ、細やかさが存在する。『シンドラーのリスト』の4Kリストア版があるのなら、そういった複雑さや細やかさをすくい上げる試みとして、ボーナス映像で「公開当初の白黒プリント+カラープリント版」や「その後の青味がかったカラープリント版」を復元したものがあってもよいのではないか。
|
『天国と地獄(1963)』4Kリストア プロモーション映像(ルミエール版)
このリストア版、少し独特のHueがあって、違和感を感じるのは私だけだろうか。
|
References
[1]^ C. Eller, “Projection Woes in ’List’ Were Black and White,” Los Angeles Times, Los Angeles, Dec. 20, 1993.
[2]^ K. Erbach, “Schindler’s List Finds Heroism Amidst Holocaust.” https://theasc.com/articles/schindlers-list-finds-heroism-amidst-holocaust
[3]^ K. Buchanan, “How Steven Spielbergs Cinematographer Got These Eleven Shots,” Nov. 14, 2012. https://www.vulture.com/2012/11/how-steven-spielberg-cinematographer-janusz-kaminski-got-these-shots.html
[4]^ “Film-Tech Forum ARCHIVE: Schindler’s List (1993).” https://www.film-tech.com/ubb/f3/t002128.html
[5]^ “Film-Tech Forum ARCHIVE: Schinler’s List Red Girl Scene.” https://www.film-tech.com/cgi-bin/ubb/f1/t004325/p1.html
[6]^ J. Pytlak, “Pytlak’s Practical Projection Pointers,” Reel Notes for the Reel People, pp. 2, 20–21, Oct. 1994.
[7]^ D. Bartok and J. Joseph, “A Thousand Cuts: The Bizarre Underground World of Collectors and Dealers Who Saved the Movies.” Univ. Press of Mississippi, 2016. Available: https://books.google.com?id=vYcWDQAAQBAJ
[8]^ “AFI Catalog – Schindler’s List.” https://catalog.afi.com/Catalog/moviedetails/67172
[9]^ 中井朝一, “撮影報告 1「天国と地獄」,” 映画撮影, no. 6, pp. 8–11, 1963.